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HOME > 南北相法②

南北相法巻ノ二

水野南北居士 著
門人 平山南嶽・水野八氣 校


《頭を論ず》
一 頭は心(意思)の深浅を観る。

一 頭が大きい者は心が安定する事が遅い。故に物事がみな成就する直前でダメになる事が多い。

一 頭が小さい者は大きい者と同様に、発展し難い。物事を成し遂げる事が出来ない。

一 頭が後ろへ長く、奥行がある者は心が深く、柔軟性があり、強い。
原文は「丈夫」なので、弾力性に富んだ強さを備えている事をあらわしている。

一 頭が奥行の無い者は心が浅く、少しの事を恐れる。また、物事に染まりやすい。
*原文は「…物に移りやすし」。つまり、意志が弱いので、周りに影響されやすいという事。洗脳されやすかったり、騙されやすい。

松岡治部が問う
頭が心を司るのは何故でしょうか。
答える
頭は天に対応しているので、その形が丸い。また、頭は諸陽の会する(合流する)所であり、心の遊情の官である。故に、頭がその心を司る。また、頭が後ろへ長く奥行がある者はその心に奥行があるのであり、心も深く、柔軟性があり、強い。逆に頭に奥行が無い者はその心に奥行が無いようなものであり、故に心も浅くて少しの事に驚くのである。この事はよく考えなさい。また、頭が大きい者はその心に締まりが無いのと同然で、身の上の事がおさまるのが遅いのである。逆に頭が小さい者は心が及ばないようなもので、故に発展し難いと観る。この事もよく考えなさい。当然の道理をもって、ここに示す。
*「諸陽」とは経絡の陽経の事。手の陽明大腸経、足の陽明胃経、手の太陽小腸経、足の太陽膀胱経、手の少陽三焦経、足の少陽胆経、督脈などが頭に集まっている。経絡とは、中医学や鍼灸で多用される用語であるが、いわばエネルギーの通り道と考えるとよい。その存在については未だに議論の余地がある。

《頂(頭頂)を論ず》
一 頭頂は品位をあらわす部位であり、万物を保てるか否かを観る。

一 頭頂が高く尖る者は一生苦労が多く、愛嬌が無い。
*『神異賦』には「男子の頭尖るは、終(つい)に器(き)を成す無し。」とある。

一 頭頂の肉付きが良く、丸く盛り上がっている者は人の下につくという事が無く、発展する。また、心が正しい。さらに、武士以外の職業である者ならば、非常に良い。
* 原文では「…長袖は大によし」。ここで言う長袖とは、公家(公卿)や医師、神主、僧侶、学者などを指す。つまり、武士が袖をまくりあげて鎧を着るのに対する呼称である。方外(ほうがい)、長袖者(ちょうしゅうしゃ)とも呼ばれる。
* 『神異賦』には「僧侶たる人、頭(あたま)円(まど)かなれば、必ず貴(き)たり。」 とある。

一 CA3G0023.JPG↑図1頭頂の中が低い者は妻子に縁が薄く、苦労が多い。また、婚期が遅く、家庭が安定する事も遅い。苦労する割に手柄が少ない。少し低い場合は苦しむ事は少ない(図1参照)。

一 CA3G0024.JPG↑図2頭頂の後ろが程良く高くて、額と頂の区別がつかない感じで一様にみえる者は気性が激しく、愛嬌が薄い。また、破産したり家庭を壊す。物事に滞りが多い。さらに、妻子に縁が薄く、古里を去る事がある(図2参照)。

一 頭額が平らで、頂の後ろが程良く高い者は勢いが強い。また、相応の福分があり、人を用いる事がある。だが、頂に大きな傷があったり、ハゲがあったり、凹凸のある者は考慮に入れない。

一 頭頂が平らな者は運が強い。また、危うい事があっても、自然に逃れることが出来る。

一 頭頂に大きな傷があるか、大きなハゲがある者は目上と意見が合わない。また、金銭面においても、他の面においても、得ても長く保つ事が出来ない。また、賢人、貴人に近づく事が出来ても、長くその縁を保つ事が出来ない。出家している者は考慮に入れない。

奈良林要玄が問う
頭頂は貴さを宿し、万物を保つと言いますが、これは何故でしょうか。
答える
頭頂は身体の峰(頂上)にあり、自ずから清い。故に貴さを宿しているのである。

また問う
魯(出身)の孔子は頂の中が広く凹んでいたと言うが、生涯苦労があり、後に名を残しました。これは何故でしょうか。
答える
孔子の事は、孔子の母親が子宝に恵まれぬのを嘆いて尼丘山に祈った事に始まる。その後、母親は孔子を産んだのだが、奇遇にも孔子の頭頂が尼丘山の山頂の形に似ていた。これにあやかり、字(あざな)を仲(ちゅう)尼(じ)とし、名を丘(きゅう)とした。また、孔子は頂の中が凹んでいるといっても、徳があったため、後に名を残したのである。だが、当時の大半の人はこの相を備えているならば生涯苦労が絶えず、妻子に縁が薄く、苦労しても功が薄かった。この事については「神相」というものを深く考えねばならない。
*ちなみに、孔子は尼(じ)父(ふ)とも呼ばれた。字が仲尼だからである。

また問う
では法然上人は富士山のように頭頂が凹んでいるのでしょうか。
答える
私は法然上人の境遇を知らない。したがって、法然上人の出処について詳しい同門の僧に聞くと良い。

山崎市右衛門が問う
頭頂の後ろが適度に高く、額と頭頂との見分けがつかないほど一様(同様)にみえる者はどうなのでしょうか。
答える
頭頂は身体の山であり、額は南陽を司る。したがって、頭頂と額が一様にみえる時は、その南陽を剋して頂の山と為すようなものである。また、陽を剋して山と為せば、つまりは陰の高山となる。陰の高山はその山の氣を剋すので、人氣(じんき)が集まり難くなる。故に、気性が激しく、愛嬌が無くなるのである。この事は深く考えて知りなさい。

鴻本徳太郎が問う
額が平坦で、頭頂の後ろが高い者はどのように観るのでしょうか。
答える
男子は南面(南を向く事)を基準とする。故に、頭頂が適度に高い時は南陽(朝日)を一様に受けるようなものである。また、頭頂は天陽を受ける場所である。頭頂の後ろが高い時は天陽と南陽とが共に盛んに巡るようなものであり、その人は自然と勢いが強いというのである。その他の事は深く考えなさい。加えて言えば、頭頂は天陽で万物を受ける場所である。故に頭頂が凸凹な者は万物の恵みを受けたとしても保持する事が出来ないので、散財の相と観る。その他の事については良く考えなさい。

奈良林要玄が問う
頭頂に大きな傷があったり、大きなハゲがあるのはどういった相なのでしょうか?
答える
頭頂は清浄な部位で、貴人が座する部位である。故に、頭頂に大きな傷がある時は貴人の座に障害があるようなものであり、貴人に近づいても、その縁を長く保つことが出来ないのである。つまり、自然と目上とも意見が合わないのである。また、頭頂が円い者は身体全体が円満であるようなものであり、天陽を平等に受ける事が出来て、吉であると言う。この事は深く考えなければならない。浅い理ではあるが、ここに示す。

《髪と髭を論ず》
一 髪が赤い者は腎血が薄く、根気も薄い。また、親の家業を継がない。

一 縮れ毛の者は腎血が薄く、子供にも縁が薄い。また、根気も薄く、破産する事がある。

一 髪が太い者は腎血が薄く、子供にも縁が薄い。また、根気も薄く、破産する事がある。

一 髪が細く、柔らかでコシのある者は子供に縁があり、根気も強い。また、長寿で心が豊かである。

一 年齢不相応に髪の生え際が厚い者は目上と意見が合わない。また、破産するなど、運が悪い。

一 年に応じて髪の生え際が薄い者は運気が強い。

一 若いうちに髪の生え際が程良く禿げあがる者は発展が早く、運気が強い。

一 髪の生え際がまだらに禿げあがる者は目上と意見が合わず、運気が悪い。

一 下相の者は髪が厚くて生え際も厚い。逆に上相の者は髪が薄くて、生え際も自然に薄い。このことは良く考えなさい。

一 下人(下働きの者)であっても、髪の生え際が早く禿げあがる時は発達が早い。また、発達が無くとも長く下人でいるという事はない。例えば、下人のままであっても、手代(てだい)、番頭(ばんとう)などは若くても髪の生え際が自然と薄い。
*手代…ここでは商家における話なので、番頭と丁稚(でっち)の中間に位置する身分である事がわかる。
*番頭…江戸時代の商家における雇人の頭で、主人に代わり店の万事を預かる者である。現代で言えば、主人が経営者(オーナー)、番頭が雇われ店長、手代がアルバイトリーダー、丁稚がアルバイト君、という感じか。

一 年老いても髪が厚く、額が禿げあがらない者は身を持ち崩す。また、年をとるほどに運が悪くなる。

一 常に髪の毛をいじっていたり、髪の毛の状態を気にする者は腎血が薄い。故に根気も薄い。

一 額や髪の生え際に渦(うず)がある者は目上と意見が合わない。物事に滞りが多い。

一 若いのに白髪がある者は腎血が薄い。また、親の家業を継がない。子供に縁が薄く、たとえ多くの子供がいたとしても無事に育ち難い。

一 赤い髭(ひげ)が生えてくる時は万事が調い難い。大いに辛労(苦労)が伴う。また、神氣が衰えて、腎氣が枯れる時も髭が赤くなる時があるので、この事はよく考えなければならない。病人は考慮に入れない。

一 腎氣が薄い者は少しの辛労があっても髭が赤くなる事がある。よく考えて知るべきである。

一 腎氣が強い者の髭が赤くなる時は大難がある。また、大きな散財があるなど、何かしらの大きな辛労がある。

一 髭が細く、青く、隙間なく生える者は心が豊かである。相応の福分があり、また、腎氣が強い。

一 髭が青く、所々隙間があり、まだらに生える者は苦労が多い。

一 髭が少ない者は腎氣が薄い。故に根気が薄い。

一 髭の先が曲がる時は物事が調い難い。また、辛労がある。

一 髭が多くあっても、墨のように黒い者は運気が悪く、下相である。あるいは破産するなど浮き沈みがある。

奈良林要玄が問う
髪と髭は体においては何に応ずるのでしょうか。
答える
髪と髭は草木に応じ、血(けつ)の苗であって心(しん)を司る。また、腎を成す。つまり、心と腎は陰陽であり、その陰陽が混じり合って髪と髭を生ずるのである。よって、父母の血脈と言う。したがって、髪と髭で子孫の有無を知るのである。また、腎血の強き弱きをみる。血が枯れる時は腎が枯れるので、腎血が枯れて白髪となるのは草木が枯れるに等しい。血は身体の水(すい)に応ずる。水は木を生ずる(生かす)ので、髪髭を生ずると言う。

また問う
では、髪が太い者は腎血が薄いと言うのは何故でしょうか。
答える
髪は血の苗であり、腎に応ずる。また、太い髪の毛を引っ張るとすぐに切れてしまうが、細い髪の毛を引っ張れば切れずに伸びる。つまり、太い髪は腎血が弱いので伸びずに切れる。故に髪が太い者は腎血が薄い。この理によってよく考えなさい。また、髪が細くて柔らかい者は腎氣が強くて粘りがあるので髪の毛は切れずに伸びる。また、気血は五臓六腑を養う根本であり、気血が強い時はまた五臓六腑とも健全で、身体も健康で長命となるのである。よく考えなさい。

藤江采女が問う
額で髪の生え際が厚いのはどのように観るのでしょうか。
答える
額は天に応じるので、髪の生え際が厚い者は天が塞がり曇っているに等しい。故に、運が開けない。また、額は目上の事についても観るので、髪の生え際が厚い時は目上の官が豊かで無いのと等しく、目上と意見が合わない。よく考えなさい。

また問う
では、年に応じて髪が薄くなり、額が禿げあがるのは何故でしょうか。
答える
年に応じて髪が薄くなり、額が禿げあがる時は自然と小天地の順氣が良く巡っている証拠である。故に、運気も自然に巡っていると言える。
また答える
額で髪の生え際がまだらに禿げあがる時は、例えるなら天に群(むら)雲(くも)があるようなもので、風雨暑寒の不順に似たような状態があり、運気が悪い。また、若いうちに額が早く禿げあがる者は天が早く開ける(晴れ上がる)ようなもので、発展が早く、運が開けるのも早い。逆に年をとっても額が禿げあがらない者は未だに天が開かず、悪天候が続くようなもので、運気を開く事が遅くなる。

伊藤清兵衛が問う
若いのに白髪が生えるのは何故でしょうか。
答える
それは血分が薄くて、髪が自ずと枯れているようなものである。故に白髪となる。これは父母の血脈を絶やすようなものなので、子に縁が薄いとか、親の家業を継がないと観る。よく考えなさい。

また問う
では、髪が全体的に豊かで額が薄い者はどう観るのでしょうか。
答える
髪が豊かで薄いのは天が豊かである事と等しい。天が豊かな時は自然と人の氣も豊かになるものである。よって、心も豊かで福分があると言うのである。

森渡が問う
下相であったり、下人(下働き)の類は髪が厚く、額にかぶさるようであります。これはどう観るのでしょうか。
答える
髪が厚く、額にかぶさる時は自らに与えられた使命を知らないが故に、下人で甘んじてしまうのである。だが、下人であっても、手代や番頭の類に至る人は髪が薄くて、額も自然と薄くなっている。つまり、天が開けて、己が使命を知るので、下人の中にいても上座に立つのである。貴賤ともに、この道理をもってよく考えなさい。

福井要助が問う
青髭は吉、黒髭は凶というのは何故でしょうか。
答える
髭は血の苗で心火に応ずる。また、髭が黒いのは陰であり、水に応ずる。つまり、水剋火の道理であり、故に凶とする。また、髭が青いのは木に応じ、木生火の道理となり、故に吉とする。さらに、赤い髭が生える時は、赤は心、火、血の色を表わすので、根本的なものが衰えて、その色が現れるとし、故に辛労があるとする。その他の事は深く考えなさい。私の浅い道理により、ここに示す。口伝は無い。

《面(顔面部)を論ず》
一 面は身体の繁花(繁華、最も賑やかな部位)であり、故に一身の吉凶を観る。

一 正面(顔の正面)が広く、横顔が狭い者は妻子に縁が薄い。また、万事において保持する事が出来ず、頼りになる人が少ない。

一 正面よりも横顔が広く張っている者は子供に縁がある。また、自分の子に縁が無かったとしても、養子をもらうなどして、結局は子供に強い縁がある。

一 面の中部(中停、鼻のあたり)が低い者は我が弱く愛嬌がある。
*原文は「…意低し…」。中停、特に鼻は自我の強さを観るので、ここが高く(凸面で)無い人は、自我が弱く、主張も弱い。いわゆる「引っ込み」思案の人である。つまり、横から観ると凹面で、鼻のあたりが引っ込んでいる顔がこれにあたる。

一 面の中部が高い者は我が強い。
*横から観ると凸面の顔。積極性、攻撃性を伴う事が多い。

一 面の中部が忙(せわ)しい者は心に落ち着きが無い。

一 面にゆとりのある者はその心にもゆとりがある。この事は深く考えなさい。

信太権之丞が問う
正面が狭く、横顔が広い者はどう観るのでしょうか。
答える
正面は陽で、横顔は陰であり、これを陰面陽面と言う。故に、正面より横顔が広い者は陰面で陽面を抱えるようなもので、陰陽和合の面と言う。故に妻子に縁がある。陰面で陽面を抱えるとは後ろに控えがあるのに等しく、このような人は大きく失敗する事が無い。逆に、横顔が狭く、正面が広いのは、陰面が無く陽面が盛んである事を示すので、このような人は陽気が強く、表向きを重視する人である。よく考えなさい。

信太権右衛門が問う
面の中部が低い者はどのような相なのでしょうか。
答える
面の中部は支配者が座する部位であり、その部位が低いならばその気位(きぐらい)(品位)も低く自然に愛嬌もある。つまり、貴人に面の中部が低い者は無く、その気位も高いので愛嬌はほとんど無い。下相の者はほとんどが面の中部が低く、自然と愛嬌がある。もし、貴人に愛嬌がある場合は、下相に近い。その他については深く考えなさい。私の浅い道理をもってここに示す。
*ここでは愛嬌の有無についても触れているが、威相を備える成功者にも愛嬌が少ない、という事をここに付け加えておく。いわゆる社長には愛嬌が無く、ヒラ社員に愛嬌があるのが自然の道理である。つまり、愛嬌が強い者は成功者には成り難いと言える。
*ここで言う中部とは主に鼻の高さ(鼻梁の長さ)の事。貴族や上流階級、知識人、賢者、裕福な者、成功者に鼻が低い者はほとんどいない。また、由緒正しき、格式高い家系に生まれた者は必ず鼻が高い。さらに、鼻の高さは自我の強さも示し、高すぎる鼻は自己中心的な性質、自己顕示欲の強さ、自意識過剰を暗示する。パスカルの有名な言葉に「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら…。」というのがあるが、これは人相術の知識に基づいた発言であろう。この言葉は単なる例えに過ぎないと断ずる識者がほとんどであるが、パスカルが生きた17世紀は宮廷文化とともに、人相術が社交術として栄えていた時期であることを踏まえ、この言葉の意味を考えなくてはならない。さらに、パスカルは数学者でもあり、神秘主義的傾向にもあったようだから、人間というものを数学的、幾何学的、科学的に把握するという西洋的人相術に関心を持っていたとしても、何ら不思議ではない。こう考えると、ウィキペディアにある「…大地の全表面は変わっていたであろう。(…toute la face de la terre aurait change.)」という訳は、パスカルが言わんとした、その真意からは逸れているように思える。「…歴史は変わっていただろう。」と訳すのがその真意に近かろうと思う。faceが掛詞になっているから、「その波乱に満ちたクレオパトラの人生も、その鼻が低かったら、もっと穏やかだったのではないだろうか(鼻が低ければ、もっと人生がflatに近かったのではないのだろうか)。」という感じか。

首筋を論ず》
一 首筋によって、命(寿命)の長短を観る。

一 首筋が太い者は長寿で、病気になる事が少ない。

一 首筋が細い者は早死にし、その身体も強くない。

一 首筋が太くても、後ろから観て陽気が薄く(影が薄く)、淋しく観える時は近いうちに死ぬ。もし、死を免れたとしても大難がある。これを「影の無い人」と言う。また、痩せている者は、当然首筋が細いので、考慮に入れない。

一 首筋が長く、立ち伸びるような者は身分相応に暮らすことが出来る。

一 首筋が短く、猪首のような者は身体が強く、長寿で、人柄も良い。また、首筋の細かった者が太く、猪首のようになる時は、相応の福分があり、武士は官職に昇進するなど、大いに良い。

一 CA3G0025.JPG↑図3下相の者は首筋が短く、特に猪首のような者は一生楽して暮らす事が出来ない。また、賢人に交わる事が出来ない。さらに、喉仏(喉頭隆起)が高い者は片意地(頑固)で発展する事が少ない。少し高い者は考慮に入れない(図3参照)。
*ちなみに、英語では喉仏の事を「Adam's apple」と言う。これは旧約聖書において、イヴが蛇にそそのかされて知恵の樹の実(apple)を食べた際、その残りをアダムが食べ、その実の芯が喉に詰まったという伝承による。つまり、アダムが喉にりんごの芯を詰まらせた事で、男性の喉仏が出っ張るようになったという逸話である。

信太清左衛門が問う
首筋が太い者は寿命が長いというのは何故でしょうか。
答える
人は人苗草と言い、木に例えるならば頭は一身の根であり、首筋は幹(みき)、手足は枝にあたる。樹木は小さい時に幹が太く勢いがあれば、いずれは大樹となり、樹齢も長い。故に、人も首筋が太い者は長寿となる。

寺井七郎衛門が問う
首筋が太くても、後ろ姿を観て陽気が薄く、淋しく観える時は近いうちに死ぬ、というのは何故でしょうか。
答える
樹木も枯れる時は幹の陽気が薄く、淋しく観える。つまり、人もそう観えれば樹木と同様に、枯れるように死んでしまう。もし、枯れない時は暴風に遭い、大いに苦しむ。人においては大難が来て、大いに苦しむ。幹が太い樹木は大いに強いし、人も首筋が太い者はその身体が強い。よく考えなさい。

海山主明雲院日咸が問う
古書に、喉の下の左右に肉が付いている者は長寿である、と書いてありましたが、これは何故でしょうか。
答える
その肉は若いうちは無いもので、老人になると観られるものである。若いうちは首筋に肉があって太いものだが、年老いるとその肉が落ちて、喉の下に下るのである。故に、「喉の下に肉下る者は命長し。」と言う。古人も老体をよく観察し、長命の相がどうあるかを伝えたのである。よく考えなさい。

同英源が問う
喉仏が特に高い者はどう観るのでしょうか。
答える
喉仏が高いのは樹木の幹に節があるようなものである。節のある木は素直でない(ゴツゴツしている)、故に人も片意地である。また、節のある木は家を建てる際には人の目につく所に使わないように、人も世に出るほどの発展が無い。稀(まれ)に座敷などに使われる事があっても、醜いと言われれば板にされ、終(つい)には表舞台に立つことが無くなる。故に、このような人は「労して功薄し。」と言う。喉仏が高くても、その他の体相が良く、骨格が良ければ発展する事がある。だが、節が厚く、醜いので棟木(むなぎ)以外に使われる事が無く、故に発展があっても安楽に暮らすことが出来ず、辛労が多い。とは言っても、最終的には全体の人相による。他の事は深く考えなさい。私の浅い道理をもってここに示す。

《鎮骨(ちんこつ、枕骨)を論ず》
一 CA3G0026.JPG↑図4鎮骨は寿命の長短と福分を観る(図4参照)。
*ちなみに、ヨーロッパを源にし、日本でも大正期に流行した骨相学(フレノロジー)では、鎮骨の部分を愛情機関とし、慈愛性、男女性、配偶性、友愛性、居宅性の五心性の如何(いかん)を観た。大正年間に発刊された石龍子の『性相講話』には「慈愛性はちょうど後頭結節(後頭部)にあたる。ここは指を三本置いた所である。一般的には三本では広すぎると思うから、二本八分くらいの手加減でいけばスッカリわかる。後頭部が削げている(いわゆる絶壁型)のは居宅性や慈愛性に乏しい。ロシアのスパイなどは後頭部が削げた者が多い。こういう人間は用心しなければならぬ。妻子も可愛がらぬ、愛国の心も乏しい。反対に、後頭部の張っている者は妻子を愛し、愉快なる家庭をつくるものである。(一部現代語に改訳した。)」とある。簡単に言えば、鎮骨(後頭下部)が出ていない者は愛情に乏しく、薄情で冷酷、自己中心的である。さらに、唇が上下共に薄かったり、涙堂の色が悪かったり、眼に毒があった場合は関わらぬ方が良い。口でどんなに優しい、甘い言葉を吐いても、その裏にはドロドロとした下心が渦巻いているからである。女性は特に気を付けて頂きたい。特に眼が大きく、眼に力の無い者、眉間の広い者、額の狭い者、常に口が開いている者、眼が常にウルウルしている者、眼の周りや口の周りに黒子(ホクロ)がある者、栄養質の者などは騙されやすいので、何かあった時は一歩身を引いて冷静に考えるのが賢明である。

一 鎮骨が高い者は長寿で身分相応の福分がある。また、危険な事に出遭っても逃れる事が出来る。

一 鎮骨が無い者は危険な場面に遭遇する事が多く、苦労が多い。

一 鎮骨に大きな傷がある者は失敗が多く、災難も多い。

一 鎮骨が無いようで、弘法大師(空海)の頭のような者は一般庶民であっても、僧侶や公家、医師などになることがある。商人で鎮骨が無いのは良くない。

一 耳の後ろの骨(寿骨)が高い者は長寿で運が強い。

一 耳の後ろの骨が無い者は浮き沈みが激しく、根気が薄い。

一 鎮骨と寿骨が共に高い者は非常に良い。

正月堂の別当が問う
鎮骨は頭の後ろにありますが、これは何故でしょうか?
答える
鎮は「枕」または「沈」であり、「しずむ」という字である。また、鎮骨は南極星に属す。南極星は三十六度の角度で地平線(後頭部)に入るため、日本(顔の正面)からは見えない場所に位置する。また、南極星は福寿を守る星であるので、鎮骨が高い者は南極がその身体にはっきりと現れているようなものであり、故に福寿があり、長寿であるという。したがって、鎮骨(南極星)に傷がある時はその星の身体を痛めているようなものであり、故に災難が多いとする。
*正月堂…現在の三重県にある観菩提寺の別名だと思われる。 奈良の東大寺別院として創建された寺。この寺の僧侶は三重から南北翁の講義を聞きに来ていたようである。
*別当…東大寺や興福寺など、比較的大きな寺で寺務を統括していた僧侶の事。寺の中ではかなり偉い人。
*北極星…古代中国では、北極星を中心にしてその他の星が巡る様をみて、北極星が全宇宙を司る神として崇拝した。また、北極星を天帝の化身として崇め、北辰、太一(太乙、道教の中心的な神)などと呼んだ。人相術では鼻を北極星とする(この事はどの文献にも無いので私の見解。)が、鼻は自我を観る場所でもあり、寿命、成功の如何、精神の貴賤、現在の健康状態なども観る重要な部位である。また、鼻は顔の中心でもあり、五岳の中心でもある。星神信仰と同様に重要な部位である事は間違いない。当然ながら、表裏にある南極星、鎮骨の状態も観相において重要である。
*南極星…北極星に対し、南天(南半球の空)の中心にみえるとされる星の事。現在の天文学では南極星に該当する星は無いとされるが、古代中国の星宿法(道教の影響を受けた星神信仰)、その影響を受けた日本の陰陽道、天文道、宿曜道などでは南極星は北極星の対極にある重要な星として崇められた(陰陽論がベースにあるので、北極星があれば、それに応ずる南極星が存在すると考えた。実際にどの星を南極星としたかは不明である。)。ここでは頭部を球体である地球になぞらえ、前頭・顔面部を北半球、後頭部を南半球と仮定して話を進めている。北半球の中心、北極星にあたる部位が鼻で、南半球の中心、南極星にあたる部分が鎮骨であるとしている。つまり、正面(北半球、日本のある場所)からは南極星(鎮骨)がみえないという話しである。五行では土は中心であり、中国古代の天文道では星神の土星を別名「鎮星」と呼んでいた。つまり、「鎮」には中心的である(現代でも中心的人物の事を重鎮という)、の意もあり、南半球の中心の星、ということで五行の「土(ど)」とからめて「鎮星」と呼んだのだろう。また、南極星、南斗六星は皇帝の祖霊を祀る場所であるとされ、皇帝の寿命を司るとされた。このように、人相術は五行をベースに考えてゆかないと難解になってしまうので、しっかりと理解するためには前もって、陰陽五行を学んでおかねばならない。ちなみに、嘉永7(1854)年に横浜村でペリー提督と江戸幕府が日米和親条約を締結した際、川崎宿寄場組合大総代だった添田知通が残した日誌に「我江戸府ニ考見シハ北極星ハ三十六度上ノ天ニ見ヘ、南極星ハ三十六度ノ下地ニ入リテ見ヘス。」という記述がある。だが、北極と南極が対極に位置すると仮定するならばその間の角度は180°であり、36°ではなく90°とするのが正しいと思われる。

達古快立が問う
耳の後ろの骨を寿骨と言うのはなぜでしょうか。
答える
耳の後ろの骨は鎮骨に連なる骨である。つまり、南極星に連なる連星のようなものであり、左右の寿骨と鎮骨を合わせれば三連星となるように、三位一体の部位と言える。故に、寿骨は鎮骨と同様の意味を有し、寿骨と言う。したがって、寿骨が高い者は福寿があると観る。鎮骨と寿骨が共に高い者は三体の星がしっかりとその身体に現れ、三連星が強く輝いているようなものであり、非常に良い。
*理解しやすいようにかなり意訳した。
*連星…二個以上の恒星が相互の引力で引きつけ合い、共に他の星の周りをまわっている(共通重心の周りに公転運動している)状態を指す。肉眼では重なってみえるので重星ともいう。

《肩を論ず》
一 肩は生涯の運または貧福を観る。

一 肩が厚く、格好が良い者は身分相応の福がある。また、危険な事があっても全て免れる事がある。

一 肩が薄く、格好が悪い者は苦労が多く運が悪い。また、常に肩で荷を持つような者には「荷物こぶ」のような肉付きがあるが、これは親に優(まさ)って家を興(おこ)す。また、長寿である。
*家を興す…没落した家を活気づけ、復興させ、豊かにする。

一 常に荷物を持つ仕事をしているのに、そういう雰囲気が肩に無い者は、荷物を持たない仕事を起こす。また、荷物を持つ仕事を続けるとしても、自ら荷物を多く持つ事は無い。

一 常に荷物を持たないのに、常に荷物を持つような雰囲気が肩にある者は、楽に暮らすことが出来ない。また、福者であっても常に荷物を持つような雰囲気が肩にある者も、楽に暮らすことが出来ない。

一 肩の肉が薄く、骨が素直に現れているような者は、荷物を持つような職業には就かない。気転を利かせ楽に暮らす。

一 肩の肉が厚く、骨がみえないような者は身体を上手く使い、楽に暮らす事が出来るが、下相である。

一 常に楽に暮らす事が出来る人で肩に勢いがある時は、その当時はうまく行っている。つまり、物事が順調に進んでいる。

一 肩がなでおろしたようにしぼれている者(なで肩の者)は子に縁が薄い。大きく発展し難い。

一 どちらかの肩を怒(いか)らせて(上げて)歩く者は極貧では無い。相応の福分がある。首を傾けて歩く者はこれに当てはまらない。

一 肩が素直で正しい感じがする者はその心も正しく、必ず人から用いられる(登用される)事がある。また、貴人に近づく機会が多い。肩幅が狭い者は考慮に入れない。

一 肩が淋しく、みすぼらしい感じがする者は子に縁が薄い。また、悪い結果で終わる物事が多い。

一 肩に勢いが無く、淋しくみえる者は辛労が多い。また、そのような時は心が安らぐ事が無く、迷いがある。

一 肩が晴れ晴れとしている者は一時的に零落する事があっても、再び盛り返す事がある。

一 貴人は肩に肉が薄く付いていて、骨が素直に現れているようにみえる。

一 下賤な者は肩に肉が厚く付いていて、骨の形さえもみえない。

一 楽に暮らす事が出来る者は肩の肉が薄い。

一 婿(むこ)入りする者は自然と肩の感じが密(ひそ)やか(こっそりした感じ)になる。これを「肩身が狭くなる」と言う。

小野寺善蔵が問う
肩が淋しく観える者がおりますが、あれは何故でしょうか。
答える
頭は一身の中心である。よって、心に応じる。また、肩の「頭」は身体の最上部にあたり、常に天を受ける。つまり、肩の頭は天の陽氣を自然と受ける事が出来る。心が濁る時は天の陽氣が自然と巡らなくなるためその身が衰え、肩が淋しく観えるのである。逆に、心が清ければ天陽が心に随(したが)って自然に巡るので、その身が栄えて、肩に陽氣が現れるのである。また、肩に陽気がある時は俗に「肩で風を切る」と言って、その当時は順風満帆であると観る。肩の格好(姿勢)が悪い者は運が悪く、肩の格好の良い者は運が良い。この事はよく考え、知るべきである。私の浅い道理を以ってここに示す。

《腕と肘を論ず》
一 手は部下の有無、多少と、その身体の貴賤を観る。

一 左手が利き腕の者は人の上に立つ事が出来ない。もし、人を多く雇用していたとしても、部下がやるべき事を自らやるので下相である。

一 手が膝よりも長く、だらりと垂れている者は大いに悪い。

一 手はその身体に応じて、豊かで長く観える者は良い。部下を得る事が出来る。また、人の下で働かず、自分から人を用いる。

一 手先が賤しく、常に腕に力が入っているような者は楽に暮らすことが出来ない。また、発展する可能性が薄い。武士は考慮に入れない。

一 手が大きく、腕が短く観える者は人の上に立つ事、人を使う事が出来ない。もし、人を使う事があったとしても思い通りに行かない。武士については、よく考えてから観る。

一 手が整(ととの)っている感じがして、豊かな者は人の下で働かず、自分から人を用いる。

一 手先の肉が薄く、骨がみえるような者は手を使う仕事に就(つ)き、楽に暮らすことが出来る。こういう手は「柳に雪折れ無し。」という感じに観える。

一 貴人は手の節々が長く、豊かに観える。逆に、下賤の者は手の節々が短く観える。

一 貴人で手の節々が短く観える者は必ずその心が下賤に近い。破産するか、降格する事がある。武士については考慮して観る。しかしながら、この者は勇ましい力を持っている。文学については疎(うと)い。

河端内蔵が問う
手を観てその人の貴賤、部下の有無を弁ずる事が出来るのは何故でしょうか。
答える
手は自分の身体の左右にあり、龍虎の臣下のような役割をしている。つまり、手が龍虎の臣下になり得(う)るか否(いな)かをもって、その人の貴賤を弁ずるのである。また、手が完全である者は龍虎の臣下を得たようなもので、その身体は自然と貴(とうと)い。逆に手が賤しい者は龍虎の臣下を得ていないようなもので、自然と下賤である。ゆえに、手を観てその人の貴賤、部下の有無を弁ずる事が出来るのである。しかし、心の清濁によって深く考え、知るべきである。

山東小十郎が問う
古書では腕を龍と虎に分けています。肩から肘までを龍とし、肘から手先までを虎とすると言います。これは何故でしょうか。
答える
私は未熟なので、相書というものをみた事が無い。私が用いる龍と虎は、肩から肘までは前腕より短く力が感じられるので虎とし、肘から手先までは上腕より長くゆるやかなので龍、としている。つまり、虎はその身体が短く勇力であるのが自然であり吉とし、龍はその身体が長く豊かなのが自然であり吉とするのである。手は左右君臣の部位とし、左を君(くん)(主)、右を臣(しん)(従)とする。
*君臣については、女性は逆に観る。

澤井柳兵衛が問う
左手をうまく使う者はどう観るのでしょうか。
答える
左は君(主、主人、王様、社長等)である。その君が自分から出て臣下のように働くのであるから、これはもはや君の部位でなくなってしまう事になる。したがって、左手がよく利く者は下相である。よく考えなさい。

また問う
では、男は右が利き腕であるのは何故でしょうか。
答える
先程も述べたように、左は君である。その君を助けようと右の臣下が多く働く。ゆえに男は右を利き腕とするのが自然である。

真禅の沙門、恵乗が問う
蜀の玄徳は、手が膝に届くほど腕が長かったと言いますが、これは何故でしょうか。
答える
蜀の玄徳は手が長く膝を過ぎるほどであったと言うが、それは長かったのではなく、身体に応じて豊かに長くみえたのである。手が身体に応じて豊かに長くみえる時は左右に龍虎の臣下を得ているようなものである。ゆえに玄徳は手が長いと言われたとも考えられる。他の事はよく考えなさい。
*真禅…真禅寺なのか真禅院なのかは不明。どちらも実在の寺である。
*沙門…サンスクリット語(sramana)への当て字。出家して修行する僧のこと。求道者。
*玄徳…『三国志』に出てくる武将、劉備玄徳のこと。手は膝の下まで届く長さがあり、顔は白玉のようで、唇は紅を差したようだったという。また、学問はあまり好まず、喜怒を顔に出さない性質であったらしい。

《胸を論ず》
一 胸は心の宮であり、また、六根が遊会する場所である。ゆえに心の貴賤を観る。

一 胸が広く、豊かな者は心が豊かで思慮深い。また、神氣が強い。

一 胸が狭い者は心が浅く、せっかちである。

一 胸の肉が薄く骨が現れる者は病弱で、物事に滞りが多い。また、根気が薄い。老人は考慮に入れない。

一 鳩尾(みぞおち)が高く締まりがある者は心がイラつく事が多い。また、時々気分が塞がる事があり、根気も薄い。だが、骨組が強く、その身体が丈夫な者や相撲取りの類は鳩尾が高くとも考慮に入れない。よく考えなさい。

一 鳩尾のシコリが柔らかくなるにしたがって、自然に心が豊かになる。ゆえに、気分も自然に開けるようになり、気分が開けるにしたがって運も自然に開ける。

一 鳩尾が高い者は度量が狭い。鳩尾が柔らかくなるにしたがって度量が広くなり、度量が広くなるにしたがって、運が自然に巡るようになる。ゆえに、鳩尾が堅い間は運が開けない。しかし、全ては自分にあるという事をよく考えなさい。口伝は無い。
*度量…心の広さ。寛大さ。

一 相撲取りで鳩尾が高く、シコリがあるうちは力量が定まらず、実力が安定しない。ゆえに相撲における位も定まらない。鳩尾が柔らかくなるにしたがって度量が広くなり、度量が広くなるにしたがって力量が定まり、力量が定まった後に相撲における位が定まる。他の事はよく考えなさい。
*相撲における位…番付のこと。
*ちなみに、相撲の試合を観る時に、神気(身体全体から発する勢いがあるか否か)と胸のあたりの状態(胸骨のあたりの色が白っぽく艶があるか否か)を観ると、その勝負の結果がわかる。小人形法では印堂(眉間)は胸部にあたるので、印堂の状態は胸にも出るからである。ゆえに、胸の状態で勝敗の結果がわかる。本来は印堂の状態、額の状態を観れば確実なのだが、テレビだと詳しく観る事が出来ぬので、比較的観やすい胸の状態で判断するのである。おそらく、この方法を応用すれば競馬でひと儲け出来ると思うが、私は競馬には全く興味が無いし、人相術は悪銭を稼ぐ事には活用してはならない、と昔から言われているので、実践していない。馬を観る場合は、まず神気と毛並みが重要であろう。あとは、その馬に乗る騎手の人相を観ればかなりの確率でその勝敗を当てる事が可能だろう。

村田嘉兵衛が問う
胸が広く、正しく、豊かな者は心が豊かである、と言うのは何故でしょうか。
答える
胸は神の宮(神のいる部位)である。したがって、広く、正しく、豊かである時は神がこの宮におられるに等しい。ゆえに、六根がその神にしたがうので、自然と心が豊かになる。

また問う
では、胸の肉が薄く、肋骨が現れている者は神気が薄い、と言うのは何故でしょうか。
答える
肉が薄く、肋骨が現れる時は神の宮が衰えているようなものである。ゆえに、神気が自然と薄くなる。よく考えなさい。

高林寺の住侶が問う
鳩尾の左右が高く、シコリがある者はどう観るのでしょうか。
答える
肝氣は鳩尾に集まり、胸郭を塞ぐ。ゆえに、気分が塞がる事があると観る。
*ちなみに、野口晴哉は、人間が最期を迎えると鳩尾(みずおち、経穴の「鳩尾」ではない)にガラス玉のようなシコリが出来る、と言っていた。これが出るのはいわば死相で、確実に死ぬようである。野口翁の臨終の際にもこのシコリが現れ、内弟子と御子息に触らせて、確認させたそうである。実際は、死相を目の当たりにすると、ただならぬ雰囲気を肌で感じるので、人相術を会得すると、シコリの如何(いかん)はあまり重要では無くなる。

また問う
では、力はどこにあり、どこから出るのでしょうか。
答える
人の力というものは腹にある。また、腹は腎に応じるので、腎氣が衰える時は自然に人の力も衰える。さらに、肝氣によって腎氣の力が出るので、肝氣が盛んな時は力が大きく出る。この事はより深く考えて知らねばならない。
*住侶(じゅうりょ)…寺に住みながら修行する僧侶の事。住僧。
*腎(じん)…西洋医学的な腎臓とは少し異なる。いわゆる五臓六腑における腎のこと。

《乳を論ず》
一 乳(乳房)は子孫の有無を観る。また、子孫の善悪を観る。

一 乳房が小さい者は子供に縁が薄い。また、子供があったとしても頼りにならない。

一 左右の乳房の大きさに、明らかな違いがある者は子供に縁が薄い。

一 乳房が上を向く者は子供に縁がある。

一 乳房が下を向く者は子供に縁が薄い。あったとしても頼りにならない。

一 乳房に少しのホクロやイボがある者は子供に縁が薄い。

一 乳房に毛が生じている者は子供に縁が薄い。だが、養子を迎える事がある。この事はよく考えなさい。

一 乳房の座面が広い者は吉(良し)とする。また、乳房に潤(うるお)いがある者も吉とする。

一 乳房の肉付きが豊かで締まりがある者は吉とする。

一 乳首は赤黒いのを吉とする。また、乳は胴体における陰陽であり、少しは左右差がある。他の事はよく考えなさい。口伝は無い。

尚古軒が問う
乳を観て子孫の有無を弁ずる(述べる)事が出来るのは何故でしょうか。
答える
乳は胴体の日月(陽と陰)を象(かたど)っている。また、脾の苗である。さらに、脾は土(ど)に属し、万物を生ずる根源である。つまり、人体から生ずるものは子供であり、乳は子供の食である。ゆえに、乳の善悪によって子孫の有無を弁ずる事が出来るのである。女性は胎内にその種(たね)を宿した時から乳に食の徴(しるし)が生ずる。その徴が悪い時はその子供が無事に育たない、という事を暗示する。「天に無縁の人を生ぜざる」という道理である。この事はよく考えなさい。
*ここで言う「脾」は、現代医学で言う脾臓とはかなり意味が違う。陰陽五行思想における「脾」である。いわゆる、五臓六腑における「脾」。南北相法に出てくる肝、心、脾、肺、腎はすべて現代医学的な観点では理解出来ないので、注意が必要である。ちなみに、五行で区分すると、肝は木、心は火、脾は土、肺は金、腎は水となる。五臓は他にも、方位や季節、時間などでも区分し、人相術に応用する。この手の内容はネットなどでもみられるであろうが、人相術を真剣に学びたい方は、陰陽五行思想に関する本を一冊読んで、暗記すると良い。また、鍼灸学校で習う五行の色体表も暗記しておくと良い。

田中興三右衛門が問う
乳房が小さい者は子供に縁が薄い、と言うのは何故でしょうか。
答える
乳は子孫を観る部位である。つまり、乳は子供の食を生ずる部位である。ゆえに、乳房が小さい者は子供の食が乏(とぼ)しいようなものであり、子供に縁が薄い、と言う。

熊倉伴司が問う
乳房が上を向く者は子供に縁がある、と言うのは何故でしょうか。
答える
乳房が上を向く者は天からの子供を迎えるようなものである。ゆえに、子供に縁があると言う。よく考えなさい。

熊倉岩松が問う
乳に毛が生える者は、養子を迎える事がある、と言うのは何故でしょうか。
答える
毛はすなわち血脈である。血脈(毛)を子孫の部位(乳)に、後天的に備える時は、乳の血脈を補うようなものである。ゆえに養子を迎えると言う。この事は深く考えなさい。乳房にイボやホクロがある時は、子孫の部位に障害がある事を暗示し、ゆえに子供に縁が薄い、と言う。

穴澤忠次が問う
乳首が赤黒い者は吉(良し)とするのは何故でしょうか。
答える
黒は陰である。赤は陽である。その陰陽の色を同時に子孫の部位に現わすので、吉と言う。よく考えなさい。

《腹を論ず》
一 腹は身体の強弱、生涯の貧福を観る。

一 腹が大きく、円(まる)く、豊かである者は身分相応の福分がある。また、病気になる事が少ない。

一 腹が小さく、腹が無いような感じの者は病弱である。また、イライラする事が多い。福分は薄い。

一 腹が無いような者で、福分に恵まれる時は短命になる。もし、長命であれば、その福分を子孫に相続する事が出来ない。このような時は陰徳を積むべきである。

一 親の代から福分が多くあるのに、腹が無いような者は、その身代(しんだい)を失う。もし身代を維持する事が出来るならば、病弱となる。この事は良く考えなさい。この場合も陰徳を積むべきである。口伝は無い。
*身代…個人が所有する財産。暮らし向き。身上。資産。

一 腹が無いような者でも、腹が豊かになる事がある。その頃から物事が順調に進み出し、長く患っていた病も快復してくる。

一 腹の形が悪い間は金銭を多く得る事が出来ない。また、万事が順調に進まない。腹の形が良くなるにしたがって、万事が調(ととの)い、運命も良くなる。

一 鳩尾が高く、腹が小さい間は心に迷いがあり、物事が安定しない。鳩尾が低くなり、腹が大きくなるにしたがい、万事に満足出来るようになる。この事についてはよく考えなさい。

一 腹の皮が薄い者でも、腹の皮が厚くなる事がある。その頃より運命が開けてきて、金銭を相応に得る事が出来る。また、病人であれば快方へ向かう。この事についてはよく考えなさい。

一 腹の皮が薄い間は金銭を多く得る事が出来ず、物事に滞りが多い。また、腹の皮が薄い者が金銭を多く得る時は短命になる。もし、長命であれば、心配事が増える。よく考えなさい。口伝は無い。

一 腹の皮が薄い間は腹は小さい。腹が大きくなると腹の皮が厚くなる。他の事は深く考えなさい。

飯村楯平が問う
腹を観て、身体の強弱や生涯の貧福を弁ずる事が出来るのは何故でしょうか。
答える
腹は水(すい)であり、腎に属す。また、腎は五体を養う根本である。したがって、五体の宝、生涯の福であり、貧福を弁ずる事が出来る。さらに、腹は五体の根本であるので、腹が小さい者はその身体が弱く、腹が大きい者は自然と身体が強い。ゆえに、腹を観て身体の強弱を弁ずると言う。

また問う
では、腹が小さく、無いような感じがする者はイライラしやすい、と言うのは何故でしょうか。
答える
腹は腎の源であり、水に応じる。ゆえに、腹が無いというのは水が無いのと同然で、水が無ければ自然に心火(しんか)が高ぶり、心がイラつくのである。他の事はよく考えなさい。

直柄宇門が問う
鳩尾が高く、腹が小さな者で、鳩尾が低くなり、腹が大きくなると万事に満足出来るようになる、と言うのは何故でしょうか。
答える
肝氣が盛んだと、心が胸郭に滞り、鳩尾が高くなる。鳩尾が低くなり、腹が大きくなると、その心が丹田におさまるようになる。心が丹田におさまる時は小天地が明らかになるようなものである。小天地が明らかになれば天地と同化するようなもので、万事に満足出来るようになる。この事は深く考えなさい。

金宝蘭若真浄が問う
腹の三壬(さんじん)とは何の事を指すのでしょうか。
答える
腹の三壬とは、腹が豊かで、円く満ちており、鳩尾の下に波のような筋(すじ)が三本ある事を指す。腹が豊かで円く満ちる時は水の形に応じるので、鳩尾の下に三本の波のような線が出るのである。腹の三壬がある者は非常に良い。多大な損害を被(こうむ)ったとしても、その被害は最小限に止(とど)まる。この事はよく考えなさい。

《臍を論ず》
一 臍は一身の強弱を観る。また、生涯の貧福を観る。

一 臍の締まりが良い者は身体が強い。

一 臍の締まりが悪い者は根気が薄く、運が悪い。

一 臍が深い者は心が粘り強く、相応の福分がある。

一 臍が深くとも、萎(しな)びたようで力が無い者は、その当時に根気が衰えていて、物事の滞りが多い。老人は考慮に入れない。

一 臍が腹の上の方にある者は、才能がある。また、身をわきまえており、人の下で働く事は無い。

一 臍が腹の下の方にある者は発展が無い。また、心が小さく、愚かで、苦労が多い。また、人の上に立つ事が出来ない。

一 臍が大きな者は身体が強く、心が豊かである。

一 臍が小さな者は根気が薄く、物事に滞りが多い。

一 臍が浅い者でも、深くなってくる事がある。臍が深くなるほどに運気は良くなる。また、病人の場合は、気分が良くなってくる。

一 臍が浅いうちは運を開き難い。また、精神が安定し難い。この事はよく考えなさい。口伝は無い。

一 臍が上を向く者は才能がある。臍が下を向く者は物事が安定し難く、散財が多い。

玄賦亭が問う
臍は何に応じ、何を司るのでしょうか。
答える
臍は五体の根気が集まる、一身の太極である。ゆえに、一身の強弱を弁じ、生涯の貧福を司る。よって、臍の締まりが悪い者は五体の根本がゆるんでいるようなものであり、その身体が弱い、と観る。よく考えなさい。

また問う
では、臍が上の方にある者は愚かでは無い、と言うのは何故でしょうか。
答える
臍が上にある時は、一身の根元が陽に発して、明るい(良い)方へ向かうようなものである。ゆえに、愚かでは無いと言う道理である。

また問う
では、臍が大きい者はどう観るのでしょうか。
答える
臍が大きな者は五体の根が大きく、強いようなものであり、ゆえに、身体が強いと観る。よく考えなさい。

杉本北山が問う
臍が下を向く者は物を蓄(たくわ)える事が出来ない、と言うのは何故でしょうか。
答える
浅い臍が深くなる時は、五体の根が強くなり、締まるに等しい。ゆえに、その頃から運が良くなり、病人は気分が良くなる。基本的には、堅固であれば末良くおさまる、と言う。その他の事は深く考えなさい。私の浅い道理をもって示す。

《腰を論ず》
一 腰から尻の間は丹田の下にあり、神の城郭に属す。ゆえに、心の動く、動かざるを弁ずる。また、家庭が安定するか否かも観る。

一 腰から尻の間が細く、無いように観える者は、神の城郭が無いようなものである。ゆえに、その心が安定する事が遅い。よって、職業が安定する事も遅い。また、子供に縁が薄く、離婚を繰り返しやすい。

一 腰から尻の間が正しく、豊かな者は、神が丹田の城郭に存在するに等しい。ゆえに、その心が神に従い、自然と豊かになる。よって、身分が豊かであるので相応の福分がある。この事は深く考えなさい。口伝は無い。

一 腰から尻の間の肉付きが多く、醜い感じがする者は下相である。しかし、精神的に楽に暮らす。

一 俗に言う「奴(やっこ)尻(じり)」のように、尻が大きく、後ろに出ている者は、一生、人の上に立つ事が出来ない。また、安楽に暮らす事が出来ず、大いに下相である。

一 俗に言う「柳腰(やなぎごし)」の者は、水商売に就く事を何とも思わず、自然と家庭を破壊したり、破産する。また、女の氣を楽しむ。
*柳腰…細くてしなやかな腰の事。美人の例えに使う。
*私が観てきた限りでは、水商売に就く者は晩年がさびしかったり、不幸であったり、短命である事が多いようである。情欲(≒水)に溺れると、精気を早い段階で使い果たし、枯れたような人生を送りがちである。水商売に溺れる者は、異性にも溺れる傾向にあり、水難の相が根本にあるので、水場(海、川、トイレ、風呂、プール)などで事故に遭いやすい。情欲(=性欲)が強いと言う事は腎(=腎臓を含めた泌尿・生殖器)の働きが活発である事を暗示するが、その証拠として、そういう者は必ず水眼(=桃花眼、うるうるした眼)であり、眼が水の中に溺れているような感じがある。西洋医学的観点で観れば、腎と水眼、性欲の関係は理解し難いであろうが、妊婦の眼を観ると、それが事実である事を理解出来る。妊婦は子供を宿しており、生殖器の働きがいわば活発になった状態であるが、その証拠に眼がいつもよりも水分を含み、キラキラして観える。つまり、生殖器、性欲の働きが活発であるかは、眼の水分の状態によって判断出来ると言える。「水」に溺れる女性は美人が多く、顔は丸顔であったり、アゴがシャープな感じで、下停(鼻の下からアゴまで。40歳~晩年までの運命を観る。)が貧弱である事が多い。中停(眉の下から鼻先まで。20~40歳までの運命を観る。)が発達していると20~40歳くらいまでにチヤホヤされて、人生の先行きにも思いが及ばぬ傾向にあるようだ。何故か、中停が発達している(丸顔の)者は、例外が無いくらい、下停が貧弱であったり、下停に力が無い。ゆえに、余程の改心が無ければ早死にするか、晩年不孝となるのが道理である。

《男根を論ず》
一 男根は腎氣の強弱、子孫の有無を観る。

一 男根が皮を被っている(包茎)者は、男根の不具である。男根は人の芽を出す(受精に必要な精子を出す)所であり、男根皮を被る者は非常に悪い。また、子供に縁が薄く、陰部の障害である為、女難がある。

一 男根が大きな者は腎氣が強く、心が豊かである。また、性欲が強い。特に大き過ぎる者は不具であり、女難がある。

一 男根が小さい者は腎氣が薄く、イライラしやすい。また、ちょっとした事に驚く事がある。

一 男根の頭(亀頭)が大きい者は腎氣が強く、子供に縁が薄い。妻縁が変わりやすい。

一 男根が上に反る者は腎氣が薄い。ゆえに、イライラしがちで、根気が薄い。また、妻子に縁が薄い。妻縁が多く変わる事がある。

一 男根が下に反る者は子供に縁が薄い。また、妻縁が変わりやすい。

北村辰三郎が問う
男根で腎氣の強弱や、子孫の有無を弁ずる事が出来るのは何故でしょうか。
答える
男根は腎氣が遊会する官である。ゆえに、一身の花とする。また、男根に腎氣がよく通じる内は、一身に自然に花が咲くに等しく、逆に老いて腎気が弱くなり、男根に氣が通じ無くなると、自然に一身に花が咲か無くなる。したがって、男根で腎氣の強弱、子孫の有無を弁ずる事が出来ると言う。この事はよく考えなさい。

小西吉右衛門が問う
男根は何に応じるのでしょうか。
答える
男根は羅睺星(らごしょう、らごせい)に属す。ゆえに「羅」の俗称がある。また、陰門は計都星(けいとせい)に属し、計の名目がある。また、九曜占いでは、男は羅睺星(3、陽数)から、女は計都星(8、陰数)から運命が巡り始める。これは天地自然の理である。また、男根が上に反る者は、生まれた時から陽気が強すぎて、腎気が薄い。ゆえに、心火が高ぶり、自然に男根が上を向くようになるのである。したがって、常に陽気が盛んであるため、心がイラつく。逆に、生まれた頃から陰気が強い者は、男根が自然と下に反っている。ゆえに、常に性質が陰気であり、発展しない。この事はよく考えなさい。男根が上に向く者が陰門と和合する場合、精子が外側に逸(そ)れやすく、受精し難い。ゆえに、子供に縁が薄い、と言う。他の事はよく考えなさい。
*羅睺星…九曜星の一つ。羅睺はサンスクリット語のrahuが元になっている。白道と黄道の降交点にあるとされる。一種の凶星である。
*「羅」…ここでは「魔羅(まら)」の事を指していると思われる。羅は「網(あみ)」を意味する。「魔」はサンスクリット語の「魔羅(mara)」の略で、僧の修行を妨げる鬼、の意味がある。現代では「魔羅」は男性の陰茎を指すが、元々は僧の間で使われていた隠語である。
*陰門(いんもん)…女性生殖器の外陰部の事。玉門とも言う。
*計都星…九曜星の一つ。二十八宿の昴(ぼう)宿(しゅく)にある星。白道と黄道の降交点にあるとされる。これも凶星。
*昴星…和名は「すばる」、漢名は「ぼう」。二十八宿の一つ。プレアデス星団を指すと思われる。
*九曜星(くようせい)…日・月・木・火・土・金・水の七曜星と羅睺星・計都星の二つを合わせた総称。陰陽道では九曜占いに用い、人生の吉凶を占った。つまり、人の人生においては、九つの星が順番に巡り、その吉凶を支配すると考えたのである。一桁の数え年ならば、その数字をそのまま1~9のいずれかに当てはめて占う。10歳以上の数え年ならば、一桁と二桁の数字を足して、一桁にしてから1~9に当てはめて占う。例えば、31歳ならば、3+1=4となり、4の星である土曜星がその年を支配すると考える。ちなみに、1は日曜星(大吉)、2は月曜星(吉)、3は羅睺星(大凶)、4は土曜星(吉凶ともにあり)、5は水曜星(吉)、6は金曜星(凶)、7は火曜星(大凶)、8は計都星(大凶)、9は木曜星(大吉)となる。簡便に吉と凶に分けたが、実際はもう少し細かく占う。例えば、木曜星の年には木を切ってはならない、とか。詳しいことは『永代大雑書萬暦大成』などに書いてある。

浅見重治郎が問う
男根が小さい者は心がイラつく、と言うのは何故でしょうか。
答える
男根が小さい者は腎気が薄いようなものである。ゆえに、肝氣が盛んになり、心がイラつくのである。他の事は深く考えなさい。私の浅い道理をもって、ここに示す。
*「肝」は五行で分類すると、怒りを支配する。したがって、肝に何らかの変動がある場合、怒りという感情に変動が現れるとする。現代医学では、肝臓はいわば毒処理工場であるが、現代人が「キレ」やすいのは、肝臓に毒が溜まっていて、肝機能が低下している現れであると考える事も出来る。つまり、毒物(大気汚染、薬物、食品添加物、その他のストレスなど)を、日常的に体内に溜めてしまう事で肝臓の働きが鈍り、怒りという感情や理性が制御不能となり、暴走してしまうのである。

《股(もも)を論ず》
一 股は丹田の下、左右から伸びており、股肱(ここう)の臣下(「股肱之臣」)であると言う。ゆえに、股で臣下や目下、部下の有無を観る。
*股肱…もも、ひじ、手足の事を指すが、主君の手足となって働く優秀な家来の事も指す。

一 座った状態で、膝が豊かで正しく観える者は、「臣下の官成る」と言い、一人であっても部下を使う事があり、人の下につかない。また、豊かに正しく座り、膝に陽気があるように観える者は、臣下の官が盛んであるに等しく、その当時は順風満帆である。また、力になってくれる部下があるなど、大いに良い。逆に、豊かに正しく座っているようでも、膝に陽気が無いように観える者は、臣下の官が衰えているようなもので、その当時は衰えるように不運が続き、力になってくれる部下もいない。なお、座相の事はのちに詳しく記す。

一 膝に肉が豊かにある者を良し(吉)とする。

一 膝に肉が薄い者は、「臣下の官成らず」と言って、大いに悪い。もし、部下(家来)を多く使う時は、短命である。

一 膝に肉が豊かにあっても、膝が正しく無く、格好が良くない者は凶である。他の事は深く考えなさい。

《足(脚)を論ず》
一 足は一身の下にあり、奴(ぬ)僕(ぼく)の官に属す。ゆえに、足は上部に位置する百体(胴体)を守護する。また、君主が正しい時は自然と民衆は豊かである。ゆえに、心(君主)が正しい者は、その足が豊かであり、自然と正しくなる。逆に、心が賤しい者は、その足は無骨で(醜く)、自然と賤しい。

一 ふくらはぎ(腓(こむら))が、透(す)いたように肉付きが薄い者は、神気が弱く、身体も弱い。

一 脚が細く、淋しい感じがする者はその身体が弱く、根気も薄い。また、奴僕の官が衰えている。

一 脚が細くても、陽氣がある者は奴僕の官が盛んである。この事はよく考えなさい。

一 脚が太く、力んで立っているように観える者は、五体の中で奴僕(部下)の官が指揮を執(と)っているようなものであり、下相である。ゆえに、人の上に立つ事が出来ない。

一 衣服を着用した状態で、腰から下が豊かで正しく観える者は、財産があるか、徳を積んでいる人である。また、没落した家を興す事がある。

一 ふくらはぎの肉付きが良く、正しい感じがする者は、身分相応の福がある。

一 ふくらはぎの肉が多すぎる者は、数寄人(すきびと)に縁が無く、下相である。
*数寄人…風雅を解する人。風流人。

一 足の甲が高い者は悪い。逆に、低い者も悪い。

一 足が特別に大きい者は家庭の事で苦労が多い。

一 足が小さい者は悪い。詳しくは南北相法後編に記す。

一 脚は長過ぎず、短か過ぎず、細過ぎず、太過ぎ無いのが良い。また、足は小さ過ぎず、大き過ぎず、その身体に応じて肉付きが良く、豊かなのを良しとする。他の事はよく考えなさい。

一 足の指は木・金・水・火・土と、地の五行に属す。

一 足の指が豊かな者は、地の五行が豊かなようなもので、良い。相応の福分がある。

一 足の指が格別に長い者は、地の五行が締まっていないようなもので、悪い。物事に滞りが多い。

一 足の指が格別に短い者は、地の五行が薄く、貧しいようなもので、悪い。また、家庭に縁が薄く、苦労が多い。

一 足の指がことごとく離れている(隙間がある)者は、地の五行が揃(そろ)っていないようなもので、悪い。また、家庭が安定せず、身内とも意見が合わない。

一 足の親指の間が大きく開く者は、親に縁が薄い。また、小指の間が大きく開く者は必ず、子供に縁が薄く、子供がいたとしても頼りにならない。詳しい事はよく考えて、知りなさい。

南北相法巻ノ二 終

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