まず血色を観る時、眼で観ても意(こころ)で感じても青色ならば、それは青色である。また同様に、眼で観て白色であり、意で白色と感じるならば、それは白色である。青色(せいしょく)、黄色(こうしょく)、赤色(しゃくしょく)、白色(はくしょく)、黒色(こくしょく)、美色(びしょく)、紫色(ししょく)、紅色(こうしょく)においても、以上の道理をもって考え、観なさい。血色には青色、黄色、赤色、白色、黒色、紅色、紫色、暗色(あんしょく)、滞色(たいしょく)、蒙色(もうしょく)があるが、その全ては五色(ごしき、=青[肝]、赤[心]、黄[脾]、白[肺]、黒[腎]*[]は対応する五臓)から逸脱するものではない。まず、青色は肝気から生じる。黄色は脾気から生じる。赤色は心気から生じる。白色は肺気から生じる。黒色は腎気から生じる。つまり、これらの血色は全て、五臓の働きによって生じるのであり、ゆえに五色から逸脱する事はないのである。また、暗色は黒色に似ており、腎気から生じる。蒙色は青色に似ており、肝気から生じる。紅色は心気健正(しんきけんせい)から生じる。紫色は心腎から生じるが、心肝から生じる事がある。滞色は、確実にないとは言えない血色である。元来、血色は天地の気に准(じゅん)じて、自然と生じるものである。しかし、血色というものは、表面に現れる前は皮膚の下に滞り潜んでいるため、その血色をはっきりと観定め難い。ゆえに、このような状態の血色を滞色と名付けるのである。よって、五色においても、表面に現れる前は全て滞色である。例えば、青色が表面に現れる前は、「青の滞色」と言う。また、黄色が現れる前は、「黄(こう)の滞色」と言う。以上の五色、八色とも、表面に現れる前は皮膚の下に滞っているため、滞気とか滞色と言うのである。滞色が必ずあると心得て観る事が重要で、決して迷って判断してはならない。大体において、血色には過去の事は現れない。ただただ、現在の吉凶のみが現れるのである。
↑図1「二十一穴の図」
・天中、天陽、高広の官は、通常自分では予想出来ない吉凶を観る。
・主骨の官は、主人や目上に関する事を観る。
・日月の官は、父母や目上(≒上司)に関する事を観る。
・兄弟の官は、親族に関する事を観る。
・諸友の官は、友人に関する吉凶を観る。
・山林の官は、先祖から譲り受けた家督の盛衰を観る。
・福堂の官は、金銭に関する事を観る。
・辺地の官は、旅行の吉凶や、遠方との駆け引き(=取引)に関する事を観る。
・土星の官は、自分自身の体に対応しているゆえ、己に関する吉凶を観る。
・命宮の官は、病の有無や、家庭内に関する事を観る。
・妻妾の官は、妻や恋人に関する事を観る。
・男女の官は、子孫や目下(≒部下)に関する事を観る。
・顴骨の官は、世間や他人に関する事を観る。
・奸門の官は、陰の女(≒愛人)に関する事を観る。
・食禄の官は、現在の家督の吉凶を観る。
・承漿の官は、薬違い(≒薬が自分の体に合っているか)や、食中(しょくあた)りに関する事を観る。
・地閣の官は、家宅に関する事を観る。
・奴僕の官は、家来や目下(≒部下)に関する事を観る。
以上の穴所の詳しい取り方については、南北相法前篇、骨格の部に記した。また、骨格の部を参照し、以上の穴所が確定されたものである事を理解しなさい。
・青色、白色、紫色の三色は何れも愁(うれ)い、驚き、辛労を司る。
・赤色は災難事を司る。
・黒色は離別や損失、失敗を司る。
・黄色、紅色、美色の三色は何れも悦びや善事を司る。
青白色で潤いがない時は、愁いや驚き、辛労が迫っている。逆に潤いがある時は悦びがある、と観なさい。紫色の場合は、潤いがあっても愁いからは免れ難い。
黒色で潤いがない時は、離別や損失、失敗が迫っている。逆に潤いがある時は、愁いや辛労がある、と観る。
赤色で潤いがない時は、災難が迫っている。逆に、潤いがある時は、悦びや善事がある、と観る。
黄色、美色に潤いがある時は、悦びや善事が迫っている。逆に潤いがない時は、愁いや辛労がある、と観る。
青色に観えても潤いがある時は、黄色と観る。また、黄色に観えても潤いがない時は、青色と観る。
赤色に観えても潤いがある時は、紅色と観る。また、紅色に観えても潤いがない時は、赤色と観る。
白色に観えても潤いがある時は、美色と観る。美色に観えても潤いがない時は、白色と観る。
黒色に観えても潤いがある時は、紫色と観る。紫色に観えても潤いがない時は、黒色と観る。
以上の事は全て、潤いの有無によってその血色が確定する事を理解しなさい。
潤いのない血色は、しばらく観ていると、太陽が西方の山に沈むように自然と淋しく観える。潤いがある血色は、始めは悪く観えても、しばらく観ていると、太陽が東から昇るように自然と健やかに観える。つまり、潤いのある血色は「観れども冷(さ)めず」、自然と清い。また、潤いがない血色は自然と「観冷(みざ)め」があり、自然と濁っている。
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、思わぬ愁い事がある。あるいは、思わぬ辛労がある。
↑図2
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、主人や目上に関する愁い事や、辛労がある。
↑図3
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、親や目上に関する愁い事、あるいは辛労がある。
↑図4
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、親族に愁い事がある。あるいは親族に大きな辛労がある。
↑図5
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、友人に愁い事がある。あるいは、友人に辛労がある。
↑図6
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、家督に関しての辛労がある。つまり、家督の衰えがある。
↑図7
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、金銭に関する辛労がある。
↑図8
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、旅行に関しての愁いがある。あるいは遠方に関する愁い事がある。または、遠方との取引で大いに苦労する。
↑図9
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、病気になる。または、家庭内に愁い事や辛労がある。
↑図10
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、身の上に関する辛労がある。つまり、境遇や地位において安心出来ない。
↑図11
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、妻か恋人に関する愁い事がある。あるいは、恋人に関する辛労がある。
↑図12
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、子孫や目下に関する愁い事がある。あるいは、目下に関する辛労がある。
↑図13
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、他人に関する愁い事がある。または、他人の辛労を自分が代わって受ける。
↑図14
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、陰の女に関しての辛労がある。あるいは、女に恨(うら)まれている。
↑図15
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、家督に関する辛労がある。あるいは、家督が衰える。
↑図16
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、家業に関する辛労がある。あるいは、家業の衰えがある。
↑図17
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、食中りがある。病人は薬が合っていない。
↑図18
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、家に関する辛労がある。または、家庭内に愁い事がある。
↑図19
・青色、白色、紫色の三色が現れる時は、家来や目下に関する愁い事がある。あるいは、目下に関する辛労がある。
↑図20
・官禄(かんろく)の官
↑図21
・良い色が現れる時は、思わぬ善事が来る。
↑図22
・良い色が現れる時は、主人か目上に関する善事がある。あるいは、目上からの善事が自分に来る。
↑図23
・良い色が現れる時は、親か目上に関する悦び事がある。あるいは、自分の頼りになる親か目上がいる。
↑図24
・良い色が現れる時は、親族に関する悦び事がある。または、良い親族がいて、常にその助けを受ける。
↑図25
・良い色が現れる時は、友人に関する悦び事がある。または、友人から自分に善事が来る。
↑図26
・良い色が現れる時は、家督が盛んである、と観る。
↑図27
・良い色が現れる時は、金銭に関する悦び事がある。つまり、金銭を得る(≒臨時収入がある)。
↑図28
・良い色が現れる時は、旅行の途中や旅行先で善事がある。または、遠方との取引で必ず利益が出る。
↑図29
・良い色が現れる時は、その当時は境遇が良く、障害がない。
↑図30
・良い色が現れる時は、病人は快方に向かう。常人は家あるいは家庭内に関する善事がある。
↑図31
・良い色が現れる時は、妻に関する悦び事がある。何れにしても、恋人に関する悦び事がある。
↑図32(○の部分が妻妾の官)
・良い色が現れる時は、子孫や目下に関する悦び事がある。
↑図33
・良い色が現れる時は、世間からの評判が良く、自然と人気が集まる。
↑図34
・良い色が現れる時は、陰の女に関する悦び事がある。
↑図35
・良い色が現れる時は、家督に関する悦び事がある。あるいは、家督が盛んである、と観る。
↑図36
・良い色が現れる時は、その当時は家業が繁盛している(=仕事が順調である)。あるいは、家業に関する悦び事がある。
↑図37
・良い色が現れる時は、病人は食欲が回復し、常人は珍味(原文は「珍物」、普段口に出来ない贅沢品など)を満喫する(満足するまで喫[くら]う)。
↑図38
・良い色が現れる時は、住居に関する悦び事がある。あるいは、家庭内に関する悦び事がある、と観る。
↑図39
・良い色が現れる時は、家来や目下に関する悦び事がある。あるいは、良い(≒助力してくれる)目下がいる、と観る。
↑図40
・良い色が現れる時は、信仰心がある。また、神仏に祈る(=感謝する)事で御利益がある、と観る。
↑図41
・良い色が現れる時は、その当時は良い。諸事が順調である。
↑図42
・良い色が現れる時は、望み事が成就する。なお、悪色が混ざっていないかどうかをよく観なさい。
↑図43
・良い色が現れる時は、(嬉しい)住居の工事(≒増築、改装、リフォーム)がある。あるいは、(嬉しい)引っ越しがある。
↑図44
・良い色が現れる時は、その当時は心気が健やかで、強い。
↑図45
・良い色が現れる時は、盗難や紛失があったとしても、それらは再び手元に戻る。
↑図46
一 男女の官に黒色がある時は、子孫や目下との離別がある、と言う。しかし、常に眼の下が黒い者は考慮しない。曇りがない中、黒い色が幽かに現れるものを考慮する。
一 顴骨に赤色がある時は、世間や他人からの災いが自分に来る、と言う。しかし、常に顴骨が赤い者は考慮しない。針の先で突いたような赤色を考慮する。だが、赤点が多くある場合は考慮しない。ただ一つだけある場合のみ考慮する。必ず吹き出物とは限らない。
一 奸門の官に赤色がある時は、陰の女に関する災いがある、と言う。しかし、常に奸門が赤い者は考慮しない。この事は後篇巻ノ一に記した。
一 承漿の官に赤色がある時は、食い合わせが悪かった(≒食中毒)か、薬が合っていない、と言う。しかし、脾の臓に熱がある時は、この場所が赤くなる事がある。この事を心得て観なさい。
一 妻妾の官に悪い色が現れる時は、付き合っている女についての辛労がある。しかし、結婚して長い者は、自然と妻妾の官の血色が悪く観える。この事を心得て観なさい。
一 神光の官に良い色がある時は、信仰心のある人である。しかし、常に額の左右が黒い者においては心得ておかねばならない。つまり、信仰心が強ければ、その黒き色の中に、自然と良い色が現れている。
一 駅馬の官に黒色がある時は、家の破損がある。しかし、常に駅馬の官が赤い者、または黒い者は考慮しない。この事は後篇巻ノ一に記した。
一 奸門の官に良い色がある時は、陰の女に関する悦び事がある。しかし、総じて色情の事は陽気(=能動的かつ嬉しい事、欲望を満たす事)であり、楽しんで交わる。ゆえに、色難の相であっても、自然と潤(うる)わしく、美色を生じる。この事を心得て観相しなさい。
一 土星の官に赤色がある時は、身の上に関わる災いがある。しかし、俗に言う石榴鼻(ざくろばな、原文は「赤瘤鼻」。「酒皶(しゅさ)」も同様。)で、常に鼻が赤い者は考慮しない。以上に述べた赤色とは、粟粒あるいは麦粒くらいの大きさの赤点の事を言う。赤点は必ずしも、吹き出物とは限らない。赤点が数多くある場合は考慮しない。ただ一つだけある場合のみ考慮する。
血色は全て五臓から生ずる。例えば、肝気が健やかである時は青色に潤いを生じ、逆に衰えている時は潤いを失う。脾気が健やかである時は黄色に潤いを生じ、逆に衰えている時は潤いを失う。肺気が健やかである時は白色に潤いを生じ、逆に衰えている時は潤いを失う。黒色は腎気から生ずるとは言っても、腎気が健やかである時は、面部(≒顔一面)に潤色が現れる。これはつまり、腎、命門、陰火による潤いである。逆に腎気が衰える時は、自然と命門の火勢が強まり、面部に火のような赤色が現れる。さらに、腎が死なんとする時は、その赤色が黒色に変化する。ゆえに黒色は、腎気が健やかな時に生ずる良色ではなく、大いに悪色なのである。黒色は、「亡(ほろ)びて元に帰る」の色である。例えば、万物がこの世界に終わりを告げて無に帰る時は、変じて黒色となるものである。ゆえに、黒色は万色の終わりと判断しなさい。赤色は心気から生ずるが、赤色には種類が多い。例えば、心気が健やかな時に生じる赤色は薄紅色のようであり、自然と潤いを含んでいる。これを「心悦(しんえつ)の赤色」と言い、紅色(こうしょく)と名付ける。逆に、心気が衰える時は、自然と陰火が高ぶる。よって、火のような赤色が現れる。これを「災いの赤色」と言う。心と腎が健やかである時は、面部に紅潤(こうじゅん)色が現れる。つまり、紅色は心の色、潤色は腎による潤いで、これを美色(びしょく)と名付ける。紫色(ししょく)は心と肝により生ずる(→心の赤色と肝の青色が混じった色)。また、紫色は心と腎(赤色+黒色)によっても生じる。しかし、この場合は、心、肝、腎が健やかゆえに紫色が生ずるのではなく、心と肝の気が衰えるゆえに紫色を生ずるのである。また、心と腎の気が衰えた時も紫色を生ずる。例えば、横死する時は、心と肝の気が大いに窮(きゅう)してから死ぬ。ゆえに、唇に紫色を生ずるのである。また、毒を食せば、心と腎の気が大いに窮してから死ぬ。ゆえに、唇に紫色を生ずる。よって、紫色は良くない色である。人は陰陽、血脈から成っているため、少し赤く、潤いがあるものを人体の常とする。陽気が衰える時は赤色を失い、陰気が衰える時は潤色を失う。ゆえに、人は陰陽の交代(≒循環)が良いものを吉とする。つまり、陰陽の交代が良い時は、自然と五臓六腑も完全である。ゆえに、身体は健やかで、常に潤色を生じている。潤色とは、つまりは血脈五気の潤いである。
古書には以下のように記されている。「青色は春に対応する。ゆえに、春の面色(=顔色)は青いものを吉とする。赤色は夏に対応する。ゆえに、夏の面色は赤いものを吉とする。白色は秋に対応する。ゆえに、秋の面色は白いものを吉とする。黒色は冬に対応する。ゆえに、冬の面色は黒いものを吉とする。しかし、これらは君子(≒徳のある人、天皇)に現れる血色である。常人(≒凡人)に現れるものではない。君子は天地(の道理)に順(したが)っており、曲がる(≒偏る)事はない。つまり、君子は天地同体の人である。天地と同体であるがゆえに、四季に応じた血色が自然と現れるのである。よって、天地の吉凶は君子の血色に現れるのである。愚者は、人が天地同体である事を知らぬがゆえに、天(≒神仏、先祖)を恨(うら)む。よって、愚者には、四季に応じた血色や気色が現れる事はない。」また、このようにも記されている。「血色は二種類ある。一つは、法性(ほっしょう、≒真如)の心気から、時候の(=その季節に順じた)気色として生じる血色である。つまり、その時が来れば血色として現れるもので、天時(≒天に応じた)の血色と言い、自ずと完全な血色であり、まずは君子に現れる血色である。もう一つは、己から生じる血色である。これはすなわち、我慾(がよく)の血色であり、自ずと烈しい(≒鋭い)血色である。」以上の事を常に心得た上で、観相すべきである。