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日本鍼灸のカオス

東京都では、毎年6/30は産業廃棄物管理票の提出期限だ。産業廃棄物の処理を業者に委託した鍼灸院は、前年4/1~3/31の管理票を6/30までに、東京都環境局あてに送付するよう義務付けられている(八王子市は別らしい)。  
 
鍼灸を業にしていると、当然ながら血の付いた綿花や使用済の針がゴミとして出るが、これらは感染の危険性があるから、一般ゴミに混ぜて捨ててはいけないことになっている。ゆえに指定の業者と契約して、処理を代行してもらう手筈になっている。 
 
しかし、こういった重要なことが、鍼灸学校でちゃんと教えられていないケースが多々あるそうで、マニュフェストの受け取りや報告書の提出など、業者とのやり取りに関して全く知識がない鍼灸師も珍しくない。いや、むしろ、知っている人は全体の1割以下ではなかろうかという感じが、最近はしないこともない。 
 
実際に、知ってか知らずか、数年前、都内でも鍼灸院で出た医療廃棄物を一般ゴミに混ぜて捨てていた鍼灸師が逮捕されている。大したニュースにはならなかったが、そういう状況は氷山の一角ではないかという疑念が年々強くなっている。 
 
私が卒業した鍼灸学校でも、産業廃棄物の具体的かつ正しい処理法を詳細に教えていなかったが、知り合いの鍼灸師にヒアリングしてみても、他校でも未だに似たような状況らしい。 
 
ただでさえ鍼灸はインチキだとか、プラシーボに過ぎないとか、怖いとか、危ないとか、効かないとかいうネガティブな世論が相変わらず大多数を占めているのだから、最低限、使った針の廃棄くらいはマトモにやってもらいたいものだ。
 
多くの鍼灸師は治療の効果がどうとか、あの流派はどうだとか、どうやったら売り上げが伸びるかなんてことばかりにこだわる。しかし、「その前に産業廃棄物を適正に処理しなさい」とツッコミたいところだが、基本的に鍼灸師は人の話を聞かない人が多いから、どうにもならぬ。特に、私のように権威や肩書のない人間の話なんて、誰も聞く耳を持たないだろう。まぁ、だからと言ってイ〇ンド大学名誉教授とか、〇〇協会理事とか、わけのわからぬ肩書を背負って、むやみやたらに己を権威付けして人を集めようとは思わぬ。 
 
日本では、鍼灸学校に入るまではニートや社会的弱者だったような人が、白衣を羽織ってあたかも医者のような素振りで鍼灸業を営んでいるもんだから、「白衣を着ているから鍼灸師は医者の一部なんだろう」と、わけのわからぬ思い込みを抱いてしまう患者がたまにいる。かといって、一部の鍼灸師のように作務衣を着るというのも感心出来ぬ。 
 
実際、日本には「〇〇医学センター」などと、医療機関と勘違いさせるような屋号を付した鍼灸院があったり、「私は鍼灸医だ」とか、「私の前世は医者だった」とか、「中国デハ医者ヲシテイマシタ」などと恥ずかし気もなく叫んでいるオエライ鍼灸師が実在するから、素人にはもうわけがわからないだろうと思う。 
 
特に、都心部では作務衣を好んで着用するカ〇トな鍼灸師もいたりするもんだから、素人には鍼灸師が医者なのか、出家者なのか、易者なのか、玄人のフリをした素人なのか、全くもって見分けがつかぬようなカオスな状況になっている。そのうち、きわどいコスプレしたり、袈裟や白装束を着て施術する鍼灸師が現れるかもしれない。いや、今の由々しき日本鍼灸界の現状を鑑みると、すでにそういう鍼灸師が存在しているかもしれない、と思えないこともない。彼らは鍼灸を神秘的で特別な「医療」だと捉え、あえて白衣を脱ぐことで、自分たちを特別な「医療人」だと思い込んでいるのかもしれない。 
 
鍼灸師が作務衣を着るという行為の潜在意識には、医師や現代医学に対する一方的な妬みや癖論、悪い思い込みなどがあるように思えてならぬ。つまり、出家者や浮世離れの象徴であるような作務衣を着ることで、鍼灸に批判的な世論から逃れ、鍼灸の科学化や進化を拒み、鍼灸を現代医学の対極にある尊いものであると信じているように見えるのだ。それはまるで、反抗期の子供がただ現実逃避して、小さな世界に閉じこもっているだけのようにも見える。 
 
真面目に鍼灸の効果を検証したり、鍼灸で医師や患者、他の医療関係者の信頼を得ようと思えば、作務衣を着て施術したり、一部の人間しか理解出来ぬ「気」がどうのこうのとか非科学的なことを大々的に主張すべきではない、と私は考えている。また、論拠があいまいで効果が一定していないような施術や、一見して鍼灸院と認識出来ぬような屋号を付けたりすることも、まず避けるべきだと思うが、やはり想像力が欠如した輩は益々鍼灸界を貶めているようでどうにもならぬ。 
 
日本においては未だに鍼灸の社会的許容度は低いのだから、出来る限り病院などの医療機関に比べて見劣りしない程度の設備や、施術スタイルを整えて、より科学的かつ効果の高い鍼灸を提供出来るよう地道に研究してゆかねばならぬと思う。 
 
もちろん、確実に効果があり、誰もが客観的に認められる技術を備える鍼灸であれば、ある程度崩れたスタイルでも、誰も理解出来ぬような思想に基づいた施術でも一向に構わぬとは思うが、実際には、そんなアンビバレンスかつアンチノミー的な鍼灸は存在が困難であると思う。 
 
鍼灸院における衛生管理は、まず第一に考えねばならないが、白衣を着ずに作務衣で施術する時点で、衛生管理への想像力や、衛生管理における知識が大幅に欠落していると言えるかもしれない。もし、病院で作務衣を着ている医師や、コメディカルがいたら、患者はどのように捉えるだろう。そもそも作務衣は僧侶が着るものだ。患者によっては不安を抱くかもしれないし、キ〇ガイだと思って近寄らぬかもしれない。医療従事者にとって白衣の着用はスタンダードであるが、特に社会的信用度の低い鍼灸師においても、スタンダードであるべきだと思う。 
 
今、日本の鍼灸業界に一番必要なことは、患者に有用な情報や施術を提供しつつ、信頼関係を築いてゆくことだと思うわけだが、どうも日本の鍼灸界では、世間に誤解を与えるようなスタイルの鍼灸師が少なくないように思えてならぬ。 
 
中国で鍼灸を施す場合、まずは西洋医学的な検査をしたうえで、脈を診たり、舌を診たりするのだが、日本では完全な分業になってしまっていて、診断権は医師にしかないから、鍼灸師は診断が出来ず、独自に病態を「判断」するしかない。 
 
ゆえに、「私は気が見える」とか、「オーラが見える」とか言って、アッチ系のいかがわしい治療がメインになる鍼灸師も少なからず存在していて、ソッチ系にどっぷり浸かってしまうと、もはや廃棄物処理法などどうでも良くなってしまうのかもしれない。 
 
ちなみに、私は気の存在を全否定しているわけではない。世の中には視覚で捉えられぬ物質なんて沢山あるのだから、気のような物質が完全にないとは言い切れない。 
 
日本の鍼灸師もまずは使った針を適正に処理しつつ、院内の衛生管理を徹底し、安全な刺鍼法を踏まえた上で、効果的な刺鍼法を探究すべきだと思うが、なかなかそういう考え方をする鍼灸師は少ない。